
に入れてくれたのがよかったようです。仕事のでき高を競って一生懸命でした。
高等部、専攻科まで学んでさて就職です。普通の会社に勤まるかどうか心配でした。縫製の会社に入ったのですが、コミュニケーションがうまくいかず数ヵ月でやめました。
家にいても、何か仕事がないか新聞広告を見て勤めを探しました。仕事がつとまるか、体のこともあるので心配でした。雇ってくださるだけでありがたかったです。
いまの会社は四年ぐらいたちますが、面倒を見て頂いています。健聴者の中、ただ一人ですがまじめに頑張っています。長く続くことを期待しています。
嫁と協力、孫の発音訓練
辻絹子
名古屋市
「ハマナスのうた」の原稿募集のお知らせがきましたが、私はかなり高齢なので嫁さんに「よう書けんわ」と話したら、嫁さんが、「私がおばあさんの話や気持ちを書いてもいいです
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